隼人の舞

隼人舞は宮中の儀式用の風俗歌舞大賞祭などで南九州の大隅国、薩摩国に居住した隼人が演じた風俗歌舞です。

種類 美術品
大きさ H300cm W100cm D100cm
素材 燐青銅
原型作者 中村 晋也
設置場所 愛媛県今治市 大三島 大山神社
設置年度 2010年10月
作成期間 3ヶ月

人物ストーリー

飛鳥・奈良時代、南九州の薩摩・大隅地域の人々は、当時の律令政府により擬製的な化外の民(夷狄)として扱われ、「隼人」と呼ばれた。

隼人は『日本書紀』巻第二十九によると、7世紀後半にあたる天武朝11年(682年)7月に「隼人、多に来て、方物(くにつもの)を貢れり。是の日に、大隅の隼人と阿多の隼人と、朝庭に相撲(すまいと)る。大隅の隼人勝ちぬ」とあり、この時に正式に大和政権への服属の意志を示した。そして、6年交代で上京し、犬の鳴き声のような吠声(はいせい)で皇宮衛門の守護や行幸の護衛を行ったとされる(蛮族の声には悪霊退散の呪力があると信じられたため)。また竹笠・竹扇の造作などのほか、服属の意を示す歌舞の教習を行いつつ、隼人舞を節会に演じた、と言われる。

その後、隼人舞は宮廷芸能と化し、また番上隼人から 今来隼人の演じるものへと移行していった。『延喜式』によると、弾琴(ことひき)2人・吹笛(ふえふき)1人・撃百子(たたら)4人・拍手(てうち)2人・歌2人・舞2人の13人で演じられたらしい。

舞については、隼人の祖と伝えられる火照命(ほでりのみこと、あるいは火闌降命(ほのすそりのみこと)、海幸彦)が海水に溺れる様子を写したものであり、滑稽、物真似的な芸とする説のほか、戦闘歌舞(この場合は、ニュージーランドのハカのようなものだろう)とする説などもあるが、中世に絶えているので芸態は明らかでない。

『令集解』職員令では、隼人という名は吠声によると解しているが、隼人舞の起源説話があり、テンポの早い囃子をする人の意で「はやと」と名づけられたとも想定される。

古代歌舞のものと同じかどうかは不明だが、鹿児島県霧島市隼人町の鹿児島神宮では旧暦8月15日の放生会には、隼人舞が行われている。

また、京田辺市大住の 月讀神社には、「隼人舞発祥之碑」があり、毎年10月14日の秋期例祭宵宮に奉納されている。大住隼人舞は、昭和50年(1975年)12月19日に田辺町(現・京田辺市)指定無形民俗文化財第1号に指定された。

『ウィキペディア日本語版』. 2020. 「隼人舞」. 最終更新 2020年4月15日 (水) 09:54 UTC.

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