熊谷次郎直実

熊谷次郎直実(なおざね)は通称二郎、法号は蓮生(れんしょう)平貞盛の裔で直貞の子。祖父盛方は北面の武士だったが罪を得て、父直貞は武蔵に逃れ熊谷郷に住し熊谷氏を称した。直実は幼時に父に死別、兄と久下直光に養われたが、
直光に所領を奪われた。1180年頼朝挙兵の際は大庭景親とともにこれを攻めたが、のち頼朝に降り、佐竹征伐に功をたて所領をはい復また、義仲追討ち、一の谷の戦に子息直家と出陣戦功をたて平敦盛を斬った。1192年直光と地界を争って敗れ、京都に走り新黒谷で剃髪、源空の弟子となって蓮生と改めた。数年にして鎌倉に帰り頼朝に謁した。その出家は敦盛を斬った際、子直家のことを思って
与世の無常とと武士の習を歎いたと伝えられている。道俗二つを兼ねた名将である。
作者の歌「熊谷の 花も実もある武士道の かおりや高し 須磨の浦風」が台座にあって熊谷駅頭を飾っている。とりわけ東国の武将にふさわしく、全体に鈍重なくらいにずんぐりとした作りで秩序立った微妙なところはない。
それに代わってここでもどこか童話的な雰囲気の面白味があって、歴史的な課題の重味から解放されている。

引用:中村傳三郎編 北村彫塑大成

種類 肖像
大きさ H330cm W390cm D120cm
素材 青銅
原型作者 北村 西望
設置場所 埼玉県熊谷市 熊谷駅北口ロータリー
設置年度 1974年
作成期間 4ヶ月

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