安宅の関 冨樫像

変装して奥州平泉へと逃れようとする義経一行。「安宅の関(あたかのせき)」で関守・富樫左衛門は「義経ではないか?」と疑いをかけ厳しい尋問をしますが、最後には主君を思う弁慶の強い気持ちに心をうごかされ、自分が罰せられるのを覚悟で一行を見逃します。
関所通行許可を命じ扇を挙げる富樫左衛門の姿を表現しています。

安宅の関は、石川県小松市の日本海側にある安宅に守護、富樫氏が設けたと言われる関所。

作者は得能節郎。
1930年 岡山県出身。
昭和29年金沢美術工芸短期大学 専攻科修了。畝村直久に師事。
昭和26年第7回日展初入選、42・43年特選、57年会員賞、42年日彫展日彫賞。
平成7年日展内閣総理大臣賞。
日展評議員、金沢美術工芸大学 名誉教授。

種類 肖像
大きさ H250cm
素材 燐青銅
原型作者 得能 節朗
設置場所 石川県小松市 小松空港
作成期間 3ヶ月

エピソード

如意の渡しでのエピソードを元にした、源義経が武蔵坊弁慶らとともに奥州藤原氏の本拠地平泉を目指して通りかかり弁慶が偽りの勧進帳を読み義経だと見破りはしたものの関守・富樫泰家の同情で通過出来たという、歌舞伎の「勧進帳」でも有名。
『兵部式』では安宅駅、『義経記』では安宅の渡、『八雲御抄』では安宅橋と記述があるのみで、安宅関と記載のあるものは謡曲『安宅』のみで、ここに関所があったかどうかの歴史的な実在性は疑問視されている。
現在は安宅住吉神社境内に位置する[1]。1939年3月18日に「安宅の関跡」として石川県史跡に指定されている。

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