織田信長公

金華山の山頂に立つ岐阜城を拠点に天下統一を目指した織田信長公は、この地でさまざまなことを行いました。一つ目は、当時“井ノ口”と呼ばれていたこの地を“岐阜”と改めたことです。二つ目は、商業を活性化させた「楽市楽座」と武士と農民を身分的に切り離した「兵農分離」の施行。市場がある城下町に人を住まわせ、まちを作り上げるという結果を生みました。三つ目は、「天下布武」の印を使い始めたこと。4文字に願いを込め、天下統一を志しました。また、“冷徹非道”というイメージが強い信長公ですが、軍事だけでなく、文化の力で有力者をもてなすことで仲間を増やしたともいわれています。現岐阜県を命名した。

種類 肖像
大きさ H320cm W170cm D130cm
素材 燐青銅
原型作者 田畑 功
設置場所 岐阜県岐阜市 岐阜駅北口広場
設置年度 2009年8月
作成期間 4ヶ月

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